昨日、第34回AI社会論研究会が東京21Cクラブ(新丸の内ビル)にて行われました。今回は特別に前回から一週間も開けず続けて、海外からゲストを招き法律関係のトピックを議論する回でした。会場は満員大盛況で、社会的関心の高さがうかがえました。
講演者はトリノ大学のウーゴ・パガロ教授で、今年1月に翻訳が出版された書籍「ロボット法」の内容などをお話しされました。合わせて二回前に登壇された産総研の赤坂氏が、AIの法人格について補足講演され、パネルディスカッションが続きました。
『ロボット法』 ウーゴ・パガロ著 勁草書房
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E6%B3%95-Ugo-Pagallo/dp/4326403454
(内容(アマゾンより))ロボット技術の進展に伴い発生する実定法上の問題を27に分類し詳細に検討するとともに、メタ技術としての法や人間とロボットの間の相互作用を規律する環境デザインの一部としての法といった法哲学的分析も施す。ロボット法研究において、どのような問題をどのような観点から研究していくべきかを考える、フレームワークを提示する。
演題は、The Hard Cases of AI & Robotics, and their Legal Governance。
詳細な法的論点も色々ありますが、次のようなお話をされていました。
――――(ご講演のポイント)―――――
AI・ロボットの進化と浸透に伴い、既存法と社会的現実との乖離が多くの分野で顕在化しつつある。そこで、様々な新しい法的論点が登場している。重要な点として、
・AI・ロボットが権利侵害を発生させた際に、誰がどう責任を負うべきか?
・その判定のためにどのような判断基準が必要か?(防止可能性、予見可能性…)
・そしてAI・ロボットに一定の法的地位(特に法人格)を与えるべきか?
などがある。
特に、AI・ロボットへの法人格の付与は話題となっている。
但し、法的には必ずしも法人格を与えなくても議論可能である。
例えば、
・ペットが他人に怪我をさせる
・古代ローマ時代に奴隷(当時はモノと同じ扱い)が他人に損害を与える
など、人間以外の存在が問題を起こす例はこれまでもあったが、社会は動物などに法人格を与える必要を見いだしていない。
但し、AIの場合、損害発生に多様な場面が想定され、単純な統一ルールが作れない可能性がある点は懸念になっている。
我々は、社会に甚大な影響を与える技術革新により、結果の実証データが無い中で、新しい法律のあり方を設計する必要性に直面している。
技術が具体的に社会にどう影響するか、どのような法で対処するとどういう結果になるかは誰にも分からない。これは例えば、1950年代の原子力技術開発と似た状態にある。
そのため、いきなり実定法を変えて対処するのでなく、より柔軟で広範囲な法的操作(the secondary rules of the law)、つまり特区設置などと合わせた実験試行により、あるべき姿とフレームワークを浮かび上がらせる必要がある。
今こそ、「Back to legal experimentalism」(法的実験・探索主義)が有効である。
―――――――――――
専門外の人間から見て、大筋このようなポイントだったと理解しました。
これを社会学的な「制度の社会的構成」という観点で見ると、大変面白いと感じました。
具体的には、破壊的技術の台頭により、法という制度について「制度が変化するプロセス自体が、現在進行形で変化している」という趣旨のお話をされている点です。
影響を合理的に把握した状態で制度変化を設計するという志向から、実験と修正試行へ。
実例が登場しデータがある状態で制度が変化する前提から、データが無い状態で期待と予測に基づいた制度変化へ。
個々の企業レベルでは、プロジェクト型組織、リーンスタートアップ、もしくは最近ではティール型組織など、計画性や堅固な構造よりも、開放形でスピード・柔軟性を高め上書きを重ねる手法が注目を浴びバズワード化しています。ある種同じように、より複雑でステークホルダーが多様な社会や法のレベルでも、同様の志向が当然視される世界が来ているかも知れない、と。
これは、私の現在の研究の一つである、職業の制度変化と同じ示唆を示しています。
著名なOxfordレポート(Frey & Osborne, 2013)で、各職業の主要業務について、AIが代替する可能性が検討され公表されました。レポートは社会的にも話題になり、「AIにより仕事がなくなるのでは」という議論の先駆けとなりました。「AIに代替されそう」な職業は多数挙げられましたが、例えば、その一つに公認会計士も挙がりました。では会計士は、戦々恐々としてAIブームが去るのを期待し、もしも問題が深刻化したらそのときに実態を調査し課題を分析して制度改革に乗り出す、という対応をするのでしょうか?
会計士の大きな仕事の一つである外部監査を例に取ると、実際に起きていることはそれとは全く異なります。「AIで監査」という技術的ソリューションは限定的で、まだほとんど実現していないに近い。その段階(具体的な解や導入後の実証データがない段階)から、IFAC(国際会計士連盟)やJICPA(日本公認会計士協会)はAI導入の内容・将来像を内部で検討し社会にデファクトの見解として提起し、職業制度の改革(日本の場合、最終的には監査基準や公認会計士法の改正必要性の確認と合意形成)を見据えた活動に動いています。
こうした職業制度の変化プロセスは、実は従来の社会学・制度派組織論における制度変化の理論と矛盾しています。従来は、代替策となる具体的な組織構造・施策が登場してから、その新方式が社会での認識的な正当性を確立し普及することが暗黙の前提とされてきた部分があります(Greenwood, Suddaby & Hinings, 2002; Tolbert & Zucker, 1996)。具体的なソリューションや実証データも無いのに、制度のような大きなモノが変化するはずがない、と。しかしAIのようにあまりに影響が甚大かつ不透明な変化(職業が短期で消滅するようなインパクト)は、その期待だけで制度的企業家を刺激し制度変化を引き起こす可能性があります。
(これは先月AOM Big Data Conferenceでの発表論文の骨子でもあります)
要は、自分の新論文の発見と同じような現象が、隣接的分野(法という制度)でもまさに言われている感が有り、そこを大変興味深くまた勇気づけられる感で拝聴しました。
一方で、社会学(の中の制度派組織論)の場合、主語/アクターとしての組織(または組織フィールド)を必ず置くため、法学の議論と少し視座が異なるように感じました。要は、制度派組織論はあくまで「特定の誰にとって制度がどうなのか」を問題にしているという点です。制度自体(例えば職業制度)を主語にすることもあるのですが、その際も制度が単体で客観的に存在すると言うよりも、実定法など一定の実態はありつつアクターの認識や作用で制度は社会的に構成されるという前提のため、誰が解釈した誰にとっての制度なのか、をその主語に込める必要があります。
法学の場合、特定のアクター(利害関係者)から独立した存在として、ある程度は客観的な存在としての法律があり、それをどうすべきかに注目しているように感じました。法体系側から見た議論をすれば、それは社会の中のあらゆる組織に適用されるという感じです。しかし、アクターによってある法が及ぼす影響や意味は異なります。利害関係もそうですし、認知的な要素(例えばAIに法人格を与える事に対し、嫌悪感や宗教観で見解が分れる)でも多様性があるように感じます。ロボット法の議論はAI到来後の時代の社会的善を明確化し法の切り口で実現する提言への試みだと思うのですが、このような「どのようなロボット法が善かは、(少なくともある程度は)人によって異なる」という中で、「だとすると、どういう人がどういう善を求めるか」をより具体的に整理することも重要ではないかと感じました。それは法社会学の領域なのかもしれません。
(このような議論は法学の中で既に十分にあるのかもしれません。法学部卒ですが内容があまり頭に残っておらず、的外れなようでしたら門外漢の感想としてご容赦下さい。。)
いずれにせよ、技術的前提の変化によって、制度変化の過程が変化している、という社会の多分野で見られる仮説がある。この点は引き続き探求していきたいと思いました。
講演者はトリノ大学のウーゴ・パガロ教授で、今年1月に翻訳が出版された書籍「ロボット法」の内容などをお話しされました。合わせて二回前に登壇された産総研の赤坂氏が、AIの法人格について補足講演され、パネルディスカッションが続きました。
『ロボット法』 ウーゴ・パガロ著 勁草書房
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E6%B3%95-Ugo-Pagallo/dp/4326403454
(内容(アマゾンより))ロボット技術の進展に伴い発生する実定法上の問題を27に分類し詳細に検討するとともに、メタ技術としての法や人間とロボットの間の相互作用を規律する環境デザインの一部としての法といった法哲学的分析も施す。ロボット法研究において、どのような問題をどのような観点から研究していくべきかを考える、フレームワークを提示する。
演題は、The Hard Cases of AI & Robotics, and their Legal Governance。
詳細な法的論点も色々ありますが、次のようなお話をされていました。
――――(ご講演のポイント)―――――
AI・ロボットの進化と浸透に伴い、既存法と社会的現実との乖離が多くの分野で顕在化しつつある。そこで、様々な新しい法的論点が登場している。重要な点として、
・AI・ロボットが権利侵害を発生させた際に、誰がどう責任を負うべきか?
・その判定のためにどのような判断基準が必要か?(防止可能性、予見可能性…)
・そしてAI・ロボットに一定の法的地位(特に法人格)を与えるべきか?
などがある。
特に、AI・ロボットへの法人格の付与は話題となっている。
但し、法的には必ずしも法人格を与えなくても議論可能である。
例えば、
・ペットが他人に怪我をさせる
・古代ローマ時代に奴隷(当時はモノと同じ扱い)が他人に損害を与える
など、人間以外の存在が問題を起こす例はこれまでもあったが、社会は動物などに法人格を与える必要を見いだしていない。
但し、AIの場合、損害発生に多様な場面が想定され、単純な統一ルールが作れない可能性がある点は懸念になっている。
我々は、社会に甚大な影響を与える技術革新により、結果の実証データが無い中で、新しい法律のあり方を設計する必要性に直面している。
技術が具体的に社会にどう影響するか、どのような法で対処するとどういう結果になるかは誰にも分からない。これは例えば、1950年代の原子力技術開発と似た状態にある。
そのため、いきなり実定法を変えて対処するのでなく、より柔軟で広範囲な法的操作(the secondary rules of the law)、つまり特区設置などと合わせた実験試行により、あるべき姿とフレームワークを浮かび上がらせる必要がある。
今こそ、「Back to legal experimentalism」(法的実験・探索主義)が有効である。
―――――――――――
専門外の人間から見て、大筋このようなポイントだったと理解しました。
これを社会学的な「制度の社会的構成」という観点で見ると、大変面白いと感じました。
具体的には、破壊的技術の台頭により、法という制度について「制度が変化するプロセス自体が、現在進行形で変化している」という趣旨のお話をされている点です。
影響を合理的に把握した状態で制度変化を設計するという志向から、実験と修正試行へ。
実例が登場しデータがある状態で制度が変化する前提から、データが無い状態で期待と予測に基づいた制度変化へ。
個々の企業レベルでは、プロジェクト型組織、リーンスタートアップ、もしくは最近ではティール型組織など、計画性や堅固な構造よりも、開放形でスピード・柔軟性を高め上書きを重ねる手法が注目を浴びバズワード化しています。ある種同じように、より複雑でステークホルダーが多様な社会や法のレベルでも、同様の志向が当然視される世界が来ているかも知れない、と。
これは、私の現在の研究の一つである、職業の制度変化と同じ示唆を示しています。
著名なOxfordレポート(Frey & Osborne, 2013)で、各職業の主要業務について、AIが代替する可能性が検討され公表されました。レポートは社会的にも話題になり、「AIにより仕事がなくなるのでは」という議論の先駆けとなりました。「AIに代替されそう」な職業は多数挙げられましたが、例えば、その一つに公認会計士も挙がりました。では会計士は、戦々恐々としてAIブームが去るのを期待し、もしも問題が深刻化したらそのときに実態を調査し課題を分析して制度改革に乗り出す、という対応をするのでしょうか?
会計士の大きな仕事の一つである外部監査を例に取ると、実際に起きていることはそれとは全く異なります。「AIで監査」という技術的ソリューションは限定的で、まだほとんど実現していないに近い。その段階(具体的な解や導入後の実証データがない段階)から、IFAC(国際会計士連盟)やJICPA(日本公認会計士協会)はAI導入の内容・将来像を内部で検討し社会にデファクトの見解として提起し、職業制度の改革(日本の場合、最終的には監査基準や公認会計士法の改正必要性の確認と合意形成)を見据えた活動に動いています。
こうした職業制度の変化プロセスは、実は従来の社会学・制度派組織論における制度変化の理論と矛盾しています。従来は、代替策となる具体的な組織構造・施策が登場してから、その新方式が社会での認識的な正当性を確立し普及することが暗黙の前提とされてきた部分があります(Greenwood, Suddaby & Hinings, 2002; Tolbert & Zucker, 1996)。具体的なソリューションや実証データも無いのに、制度のような大きなモノが変化するはずがない、と。しかしAIのようにあまりに影響が甚大かつ不透明な変化(職業が短期で消滅するようなインパクト)は、その期待だけで制度的企業家を刺激し制度変化を引き起こす可能性があります。
(これは先月AOM Big Data Conferenceでの発表論文の骨子でもあります)
要は、自分の新論文の発見と同じような現象が、隣接的分野(法という制度)でもまさに言われている感が有り、そこを大変興味深くまた勇気づけられる感で拝聴しました。
一方で、社会学(の中の制度派組織論)の場合、主語/アクターとしての組織(または組織フィールド)を必ず置くため、法学の議論と少し視座が異なるように感じました。要は、制度派組織論はあくまで「特定の誰にとって制度がどうなのか」を問題にしているという点です。制度自体(例えば職業制度)を主語にすることもあるのですが、その際も制度が単体で客観的に存在すると言うよりも、実定法など一定の実態はありつつアクターの認識や作用で制度は社会的に構成されるという前提のため、誰が解釈した誰にとっての制度なのか、をその主語に込める必要があります。
法学の場合、特定のアクター(利害関係者)から独立した存在として、ある程度は客観的な存在としての法律があり、それをどうすべきかに注目しているように感じました。法体系側から見た議論をすれば、それは社会の中のあらゆる組織に適用されるという感じです。しかし、アクターによってある法が及ぼす影響や意味は異なります。利害関係もそうですし、認知的な要素(例えばAIに法人格を与える事に対し、嫌悪感や宗教観で見解が分れる)でも多様性があるように感じます。ロボット法の議論はAI到来後の時代の社会的善を明確化し法の切り口で実現する提言への試みだと思うのですが、このような「どのようなロボット法が善かは、(少なくともある程度は)人によって異なる」という中で、「だとすると、どういう人がどういう善を求めるか」をより具体的に整理することも重要ではないかと感じました。それは法社会学の領域なのかもしれません。
(このような議論は法学の中で既に十分にあるのかもしれません。法学部卒ですが内容があまり頭に残っておらず、的外れなようでしたら門外漢の感想としてご容赦下さい。。)
いずれにせよ、技術的前提の変化によって、制度変化の過程が変化している、という社会の多分野で見られる仮説がある。この点は引き続き探求していきたいと思いました。
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